向井春喜

2002年度 修士論文

自立した市民向け環境リスクマネジメントガイドの構築

静岡大学大学院 理工学研究科 博士前期課程 システム工学専攻
前田研究室  向井春喜むかいはるき

修士論文 要旨はこちら

第1章 はじめに
 今日の日本社会は、様々なリスク問題が顕在化している。リスク問題に対して幅広く対応していくためには、社会全体でリスクを管理していくという、いわゆるリスクマネジメントの姿勢が重要となる[1]。特に化学物質等の環境リスクに関しては、行政・企業等が有害化学物質等の排出管理・規制を整備・徹底していく必要があり、環境リスク問題に関する様々な環境政策の決定には行政・企業等と市民・市民団体間のリスクコミュニケーションがより重要となってくる[2]。市民にも環境政策への積極的な関与と前向きな姿勢・責任といったものが求められていると言える。

そういった中、現在日本リスク研究学会では、 Webサイト「環境リスク診断、評価及びリスク対応型(risk-based)の意思決定支援システム」[3]を構築中である(~2003年3月)。このサイトではリスクに関する全般的な情報を提供しているが、現時点では市民がリスクマネジメントを行なおうとした場合に参考となるような一連の手順に関する内容は含まれていない。とは言え、市民自らがリスクについて考え、何らかの対処をしていくことはますます重要になると考えられるだろう。
今後のリスク社会では“リスクをどのように選択し、管理していくべきか”を考えていく姿勢が市民にも求められ、その点について言及したものが必要になるのではないだろうか。そこで本研究では、自立した市民を対象としたリスクマネジメントガイドの作成を目的とし、自ら行動していく姿勢を持った市民がリスク問題に対して取り組んでいく際の情報支援を行なうWebサイトの構築を図るものとする。

なお、本研究におけるガイドの作成に関しては、市民や専門家の意見を参考とし、それらをガイド内容に反映させていくことでその枠組みを構想していく、いわば定性的デルファイ分析による構想プロセスに従うものとする(図1)。

意見の整理には、KJ法を用います
図1:本研究におけるガイド構想のプロセス

第2章 リスクマネジメントと既存のリスクマネジメントガイドについて
2-1.リスクマネジメントとは

<リスクマネジメントの定義>
リスクマネジメント(環境リスクマネジメント)の定義に関しては、例えば以下のようなものがある。

●「リスクに関して、組織を指導し管理する、調整された活動」
( JIS規格「リスクマネジメントシステム構築のための指針(JIS Q 2001)」[4] )
●「不確実な状況下でのリスク問題に対応する関係者(stakeholder)の意思決定と行動に関すること」

●「多様な関係者が当該のリスクの性質に関する知識や情報をもとに『当該リスク』に対応するための戦略、施策、制度等にはどのような代替案があり、健康と安全、生態系へのリスクを削減するために、どのような代替案を選択するのが適切かを意思決定し、そのための活動を行なうもの」

( リスク学事典[5](環境リスクのリスクマネジメント) )
●「人間の健康や生態系へのリスクを減らすために、必要な措置を確認し、評価し、選択し、実施に移すプロセスであり、その目標は、社会、文化、倫理、政治、法律について考慮しながら、リスクを減らしたり、未然に防止するための科学的に妥当で費用対効果の優れた一連の行動を実施すること」
( 「環境リスク管理の新たな手法」[6] )


<リスクマネジメントの種類>
リスクマネジメントの種類としては、扱うリスクの性質からリスクマネジメントの種類も大きく二分され、ある組織内部に存在するリスクを管理・低減していくためのリスクマネジメントと、ある組織外部、あるいはシステム外部に存在するリスクについて取り組むリスクマネジメント等に大別される。

2-2 リスクマネジメントの概要

リスクの低減・管理を目的としたリスクマネジメントの一般的な概要は、次のようなものである。すなわち、扱うべきリスクを発見し、リスクについて分析し、評価し、そしてリスクへの対応策を練り、実施するといった一連の行動である。これら一連のプロセスの後に、リスクマネジメントで実施した結果について評価を行ない、次のリスクマネジメントにつなげていくステップを踏まえるケースもある(図2)。
また、リスクの分析、評価の段階はリスクアセスメントとも呼ばれ、このリスクアセスメントとリスクコミュニケーションがリスクマネジメントの内に含まれているといったとらえ方がある(図3)。それと比較して、リスクアセスメントを行なった後にリスクコミュニケーションを経て、リスクマネジメントに至る、といったとらえ方もある。

「環境リスク管理の新たな手法」より
図2:リスク管理の枠組み
(「環境リスク管理の新たな手法」[6]より)

カナダのガイドラインより
図3:意思決定者のためのリスクマネジメントの基本的な流れ
(「Risk Management : Guideline for Decision-Makers」[7]より)

2-3 既存のリスクマネジメントガイド

既存のリスクマネジメントガイドとしては、主に行政、企業等を対象としたリスクマネジメントガイドと、他にも、市民を対象にした環境問題に関する自衛の対応をうながした資料がある(表1)。
行政、企業等を対象としたリスクマネジメントガイドについては、先に触れた「JIS規格 リスクマネジメントシステム構築のための指針(JIS Q 2001)」[4]や「環境リスク管理の新たな手法」[6]、Webサイト「環境リスク診断、評価及びリスク対応型の意思決定支援システム」等があり、そしてその他にもA National Standard of Canadaによる「Risk Management : Guideline for Decision-Makers」[7]といったものなどがある。これらのガイドは主に行政・企業等におけるリスク低減策に関する担当者・意思決定者を対象としたものである。
市民を対象とした資料としては、「化学物質による環境汚染に不安を感じたときには[8]、「活動しよう!環境保全活動ガイドブック[9]等が存在している。これらの市民を対象とした資料については、特に“リスクマネジメント”という言葉を表記して扱ってはいないが、市民ができるだけ環境リスク(化学物質のリスク)から身を守っていく行動を促す、またはそのための情報支援を行なっていくという内容となっている。

表1:本研究で参考とするガイドと資料
 行政・企業等を対象としたリスクマネジメントガイド:
● 「リスクマネジメントシステム構築のための指針(JIS Q 2001)」
● 「環境リスク管理の新たな手法」
● 「環境リスク診断、評価及びリスク対応型の意思決定支援システム」における
リスクマネジメントのコンテンツ
 市民を対象とした資料:
● 「化学物質による環境汚染に不安を感じたときには
● 「活動しよう! 環境保全活動ガイドブック

第3章 市民向け環境リスクマネジメントガイド素案の作成
3-1.市民向けリスクマネジメントガイド素案の検討

3-1-1 本研究で作成するガイドの位置付けと想定ユーザ
本研究で作成するガイドの位置付けに関しては、本ガイドと既存の市民向けガイドとを比較したとき、図4に示すような位置付けを想定する。また、本ガイドでは、「リスク(環境リスク)」という表現をガイド閲覧者に提示することで、身近な環境問題や不安なリスク問題に対して、リスクの概念を認識できるような内容を構想している。

他資料と本ガイドの対比図
図4:本研究における作成ガイドの位置付け

3-1-2 既存ガイドを参考としたコンテンツの検討
市民向けガイド素案の枠組み(基本となる軸)については、リスクミレニアムHPのリスクマネジメントのコンテンツで用いられている「I-PDCA」サイクルを参考とした(図5)。このI-PDCAサイクルの特長としては、まずリスク問題を発見(認識)、把握することを重要視したものであり、継続したリスクマネジメントをうながすというものである。

「リスクミレニアムHP」より
図5:リスクマネジメントのI-PDCAサイクル

このI-PDCAサイクルに関する各ステップを中心にし、他にも必要と思われる情報をまとめガイド素案のコンテンツ構成を考案した。

3-2.ガイド素案のWebサイトへの構築
ガイド素案として作成した各コンテンツをホームページとしてまとめ、インターネット上で公開することを視野に入れた仕様を考えていくものとした。

第4章 想定ユーザへの要求分析
4-1 市民グループへのヒアリング調査
次に、市民向けリスクマネジメントガイド素案をより使いやすく、またニーズに沿った情報を提供できるものとしていくために、市民グループを対象にヒアリング調査を行なうことで想定ユーザの要求分析を行なうものとした。

表2:ヒアリング調査の対象
【 市民グループ 】
安全な水を子どもたちに

「静岡県西部ゴミ環境問題ネットワーク」


なお、ヒアリング調査で得た意見をKJ法により整理・構造化を行なった (図6)。

4-2 要求分析に基づいたガイド素案の修正項目
図6に示したKJ法・図解化からうかがえる主なポイントを、表3の左側(【コメント・要求】)に挙げた。そして、それら各要求に対応して、ガイド内容の修正を検討する点について同表の右側(【対応】)に掲載した(表3)。

表3:KJ法(図6)よりうかがえるガイドへの要求とその対応
【 コメント・要求 】 【 対応 】
<ガイド全体の構成>
●市民の様々な状況や立場によって構成も分けたほうが良いのでは。
●サイトマップが常に確認できる構成だと見やすいのでは。
●こういったガイドが市民運動を行なっていく際の窓口のような役割になってくれれば良い。

<内容の難度>
●はじめは読んだだけでは分かりにくいかも知れない。
●文章がやや難しいように感じる(専門用語が出てくる)
●「リスク」という概念が一般市民にすんなりと受け入れられるかが疑問。
●内容が市民(市民グループ)の視点であまり考えていない。

<RMについて>
●各ステップでの具体例を示して欲しい。
●Pのリスク対応の種類は分かりにくい。

<ガイドに要求する内容>
●閲覧する市民グループにとっては、チェックリストのようなものが大事かもしれない。
●充実した情報源や市民団体の例(リンク)があると良い。
●市民グループが行動時に参考にできる情報源が欲しい。
●重要な語句の定義や、内容的に大事な部分は太字にするとか枠で囲むなどの工夫が欲しい。

○「初級編」「中級編」「上級編」に修正。

○画面の左側にサイトマップを表示。
○未対応。
(双方向コミュニケーションは、本ガイドでは構想外)

○文章表現の見直し・修正。

○表現方法を考えることで対応

○実際の行動例をより例示していく。

○Pステップに大気測定に関する事例を追加。
○削除。

○各ステップでは例示済(→再検討。)

○随時修正・追加中。
○レイアウトの検討。

表3に挙げるうちで、主な修正点については以下の通りである(表4)。

表4:要求分析に基づいて抽出した修正点
修正点1:

修正点2:

修正点3:

修正点4:

修正点5:

修正点6:

「市民が行なう環境リスクマネジメント」コンテンツを、
「初級編」「中級編」「上級編」の3部構成に修正

各コンテンツ中の文章表現の見直し・修正

サイトマップの作成

サイトページのレイアウトの検討

チェックシート(pdfファイル形式)の作成

情報源(リンク集)の追加・整理 

また、以上に挙げた修正点の他にも、コンテンツの追加を新たに行なった。それらについては以下の通りである(表5)。

表5:ガイドの修正において追加したコンテンツ
追加1:

追加2:

P(計画)ステップに、
<住民グループによる大気測定例><予防原則>を追加

「リスクに関する情報箱」コンテンツ

4-3.要求分析を基に修正したガイド案の概要
前節で説明したような修正を行なった市民向けリスクマネジメントガイド案のコンテンツ構成は、図7の通りである。

第5章 アンケート調査に基づいたガイドの再構築
5-1.ガイド案に関するアンケート調査

5-1-1 アンケート調査の概要
ガイドの再修正を行なう前段階として行なったアンケート調査の概要(アンケート対象者、期間、内容)については以下の通りである。なお、アンケート対象者の選定についても、以下に記した。

表6:アンケート調査の対象
< アンケート対象者 >
リスク、リスクマネジメント、リスクコミュニケーションに関する専門家 約175名
環境リスクを対象とした活動を行なっている市民団体(NGO、NPO等) 8団体
< アンケート期間 >
 2003年 1月6日(月)~1月20日(月)の2週間
< アンケート内容 >
・ガイド案の構成(方向性)について
・ガイド案の内容について
・ガイド案に含まれる情報量(ボリューム)について
・ガイド案の見やすさ(レイアウト)について
・おすすめの情報源はありますか?
・自由解答欄
・回答者情報(名前、所属、専門分野、E-mailアドレス:それぞれ記入は任意)


なお、対象とする専門家の選定においては、科学技術振興事業団HPによる、研究開発総合ディレクトリ「 ReaD 」を利用した。検索キーワードは、『 リスク 』、『 リスクマネジメント 』、『 リスクコミュニケーション 』とした。また、NGO・NPO団体においては、「有害化学物質削減ネットワーク」、「エコケミストリー研究会」、「WWFジャパン」、「化学物質問題市民研究会」、「環境監視研究所」、「バルディーズ研究会」、「日本生活協同組合連合会」、「ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議」を対象とした。

5-1-2 アンケート調査の方法
<CGIを用いたWebアンケート>
本アンケート調査では、CGI(Common Gateway Interface)を用いることでWeb上から回答が行なえるアンケート方式(インターネットサーベイ)を用いた。CGIとはWeb上で動作するプログラム環境であり、これを利用することでアンケート回答者側はWebページ上での回答入力が可能となり、アンケート実施者側はWebサーバ環境のコンピュータでの回答データの収集が可能となる。

5-1-3 アンケート結果
アンケートの回答は、メールでの返信も含めて15通を回収した。なお、市民団体からの回答は得られなかった。回収率としては非常に低いものとなった。

5-2.アンケート結果に基づいたガイド案の修正

5-2-1 アンケート回答の整理
アンケートの回答意見をKJ法・図解化により整理したものを、図8 に示す。

5-2-2 修正項目の検討と修正
KJ法・図解化より、表7に挙げる点を修正項目として抽出した。

表7:アンケート調査結果に基づいて抽出した修正項目
<ガイドの修正項目>
● ガイドのタイトルの変更(ガイドの狙いの明確化)
● 新たなコンテンツの作成
● 各編における内容の追加と文章表現の見直し
● 情報箱の配列
● 情報源(リンク)の追加

5-3.市民向けリスクマネジメントガイドの概要
再修正を行なったガイドは、図9の通りである。
(ガイドHPのタイトル:「身近な化学物質から環境リスクを考える ~自立した市民が行なう環境リスクマネジメント~」

市民向けガイドHPへリンクします

図9:市民向けリスクマネジメントガイドHPのトップページ

第6章 考察と課題
 前章までは、市民向けリスクマネジメントガイドの作成について段階を踏みながら述べてきた。作成したガイドに関しては、インターネットを通して広く市民が閲覧でき、リスク問題に取り組もうとする市民の一助となるよう、一応の基盤となるものが出来上がったと言える。しかし、課題点についても少なくない。

専門家等へのアンケート調査に関しては、その実施方法に課題があったと言える。この度実施したアンケート調査では、その回答の回収率が低いものに留まった。これは、アンケート調査を実施した時期と、そのアンケート内容(ボリューム)が影響したと考えられる。
回答の回収率が低く留まったことは、デルファイ分析によるガイド修正のあり方に影響したものと思われる。今後、アンケート調査を実施する際には、その方法を慎重に検討し、その上で更なる意見の収斂を図り、ガイド内容の再修正に反映していくことが望まれる。

また、定性的デルファイ分析を用いたガイド内容の検討の妥当性に関しては、本研究で実施したヒアリング調査・アンケート調査においてその検討すべきリスクマネジメントの手順に関する意見があまり寄せられず、十分な検討が行なえたとは言えない状態に終わった。そのため、リスクマネジメントの手順における検討には著者の主観的考察が多分に内包されたままの感がある。今後はより現実の状況を踏まえたリスクマネジメント手順の検討、再構築が必要であろう。

最後に、本ガイドには市民が行なったリスクマネジメントの具体的な事例といったものを多く紹介できなかった。市民にとって、そういった具体例を参考にしていくことは重要で、実際そういった情報こそニーズの高いものであろう。今後は、リスクマネジメントの具体的な事例情報の収集・掲示に努めるとともに、事例集等の情報提供サイトとの連携を図っていくことが、本ガイドをより充実させていくことにつながるかもしれない。

第7章 結論
 本研究では、市民がリスクマネジメントを行なう場合におけるその手順と内容について構想し、自立した市民を対象としたリスクマネジメントガイドを作成、そしてその内容をWebサイトとして構築した。

今後の課題としては、ガイド内容の検討方法、特にアンケート調査等による意見収集のあり方を検討した上で再修正を行なっていくことや、ガイド内容の定期的な見直しが望ましいことを挙げた。さらに、リスクマネジメントの具体的な事例の情報を追加していくことも重要であるとした。この点に関しては、ガイドの見直しを行ないながら新たな事例情報を収集していくことでそのガイド内容の充実を図っていくという、今後の研究の方針を提案するものである。

今後も市民は、リスク社会の中で多様な環境リスク問題と向き合いながら生活していかねばならないであろう。そんな中、市民が自分たちに適した方法を見出しながら、環境リスクとうまく付き合っていくことが重要となり、そのための道標となるような支援ツールは、多様な形で求められるようになるかもしれない。本研究で作成した市民向けリスクマネジメントガイドには多くの課題点が残っているが、今後は更に見直しを行いながら、本ガイドが、市民が行動を起こそうとする際に何らかの足掛かり的な役割を果たす一ツールとなっていくことを期待したい。

  参考文献
[1] 池内正栄.危機管理からリスクマネジメントへ.日本リスク研究学会講演論文集 第12巻、pp.56-62、1999.
[2] 荒井 薫.化学企業におけるPRTRリスクコミュニケーションに向けた対応事例
日本リスク研究学会講演論文集 第15巻、pp.44-49、2002.
[3] 盛岡 通 他.環境リスク診断、評価及びリスク対応型(risk-based)の意思決定支援システム
http://risk.env.eng.osaka-u.ac.jp/risk/index.html
[4] 板倉省吾 編.JIS Q 2001 リスクマネジメントシステム構築のための指針.(財)日本規格協会、2001.
[5] 日本リスク研究学会 編.リスク学事典.TBSブリタニカ、2000.
[6] リスク評価及びリスク管理に関する米国大統領/議会諮問委員会 編、佐藤雄也、山崎邦彦 訳.
環境リスク管理の新たな手法.化学工業日報社、1998.
[7] A National Standard of Canada.
Risk Management : Guideline for Decision-Makers(CAN/CSA-Q850-97).1997.
[8] (社)環境情報科学センター.市民向け冊子「化学物質による環境汚染に不安を感じたときには」
http://www.ceis.or.jp/prtr/kaisetsu/sasshi2.html
[9] 福井県環境科学センター 訳.活動しよう!-環境保全活動ガイドブック-
http://www.erc.pref.fukui.jp/unep/action/default.html